衆議院議員木村たかひで、とことん前向き 木村たかひで公式ページ
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真に国民と国のためになる政治家に



==亡き父の遺志を継ぎ、県議会議員、そして衆議院議員へ==


◆プロフィール◆


■1955年(昭和30年)〜
昭和30年8月10日、木村家の第一子、長男・隆秀誕生。
父・昭一、母・愛子の長男として、名古屋市中川区尾頭橋に生まれる。2歳違いの次男・一(はじめ)、長女・かほる、次女・昭恵の4人兄弟姉妹。

■家業のラムネ屋を手伝った子供時代
木村家の家業は、ラムネやサイダーを製造する町工場。学校から戻ると、工場でラムネ詰めを手伝ったり、トラックの助手席に乗って配達を手伝うのが日課だった。あまり怒られたことはなかったが、怖かった父。休日に家族揃って大須の商店街に出かけることが、何よりの楽しみだった。

■1965年(昭和40年)〜
昭和42年4月 父昭一、県会議員初当選
昭和46年4月 熱田高校入学
昭和49年4月 東京経済大学に入学


■1977年(昭和52年)〜
昭和52年アメリカ行きの夢を捨てて、父の手助けを
大学卒業に必要な単位を3年間ですべて取得した木村は、アメリカへの留学を希望する。しかし、その頃になると木村家は、下呂温泉で旅館を経営し、母・愛子が居酒屋を営むなど、忙しさを極めていた。しかも、県議会議員3期目となる父・昭一が、自民党を離党して新党を結成するグループの一員として、密かに活動中である。「アメリカよりもお父さんの仕事を手伝ってくれんか」。父のその一言でアメリカ行きの夢を諦め、父の事務所で地元後援会の事務や雑務をこなし、その一方で3ヶ月間下呂の旅館で番頭もしたのだ。
将来は、自分も政治家に
昭和53年3月、東京経済大学を卒業した木村。その頃には、「父の後継者として政治家に」という父子の暗黙の約束が出来上がっていた。翌年、新自由クラブ所属の一員として県議会議員4期目の選挙に挑んだ父は、惜しくも落選。父は木村に「東京に出て、代議士の秘書として修業して来い」と言われ、再び上京した。
■1985年(昭和60年)〜
落選をバネに、トップで返り咲く
1期目の4年間はあっという間に過ぎ去った。昭和60年9月には妻・光余と結婚し、一児の父親になったこともあってか、本当に充実した4年間だった。しかし、昭和62年の統一選挙で落選。一時は議員を辞めることまで考える。しかし、後援者の暖かい励ましに心を打たれ、4年後の平成3年4月の統一選挙では、トップ当選で見事に返り咲いた。

そして県政から国政へ
平成7年4月の統一選挙で、木村は2期連続トップ当選を果たす。その年の夏、同じ中川区の浅井日出雄市議会議員から「来年にも予想される衆議院の解散で、国政に転じてくれないか」という話が舞い込む。一度は丁重に断った木村だが、11月上旬には田村元衆議院議長と会談、そして下旬には地元の現職の県議、市議の連名で自民党愛知県連の幹事長宛に「次期衆議院選(愛知5区)に木村隆秀県議を推薦する」という推薦状が届けられ、国政に出る決意をする。

■1996年(平成8年)〜
平成8年、衆議院議員初当選

平成8年、衆議院議員初当選、バッチを胸に

小渕元総理との出会い
政治家木村にとって、小渕元総理との出会いは、もっとも印象に残る出来事のうちのひとつである。マスコミが報道するイメージとは違い、小渕元総理は本当に気配りのできる政治家だった。目に見えないところできちんと根回しをする。その場で処理できることは必ず処理する。など、物事の処理能力にも優れていた。小渕氏のような政治家に…。衆議院議員としてのキャリアを積み上げる木村の、密かな目標である。

夢は宇宙へ
子どもたちの宇宙への夢を育てる「財団法人日本宇宙少年団」の活動を支援する木村。宇宙を舞台に活躍する科学者や技術者を一人でも多く育成することが、もう一つの目標でもある。
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